英領北アメリカでの記録に残る最初のアフリカ人は、1619年にバージニア州ジェームズタウンに入植した年季奉公人とされている。イギリス植民地時代からアメリカ独立初期にかけては、完全な奴隷制に移行する18世紀初頭までには、比較的自由に生活するアフリカ人も見られた。その後大西洋間奴隷貿易でアフリカから奴隷として連れてこられた人が増加し、1860年までにアメリカ合衆国には350万人の奴隷にされたアフリカ人と、その他の奴隷ではない50万人のアフリカ人がいた。 (参考ページ:黒人奴隷クンタの20年間 =「世界商品」の生産と黒人奴隷制度=)
リンカーン大統領の奴隷解放宣言で奴隷制が廃止されて以後も、政治的、人権的な権利の制限はつづいた。
南北戦争で奴隷制度の撤廃を目指す北部が勝利した後、かなり以前から奴隷制度を禁止していた北部ではアフリカ系アメリカ人に対する差別意識は比較的薄く、ニューヨークやシカゴではアフリカ系アメリカ人の市長が誕生した前例がある。しかし、長い間アフリカ系アメリカ人奴隷の労働力に依存した南部では、アフリカ系アメリカ人に対する差別意識が強く残り(ジム・クロウ法)、アフリカ系アメリカ人に対しアメリカ全土で法の下の平等が保障されるのは、1960年代の公民権運動を待たなければならなかった。
なお奴隷制度廃止後、奴隷から解放されて自由になったアメリカ黒人(解放奴隷)の自由の国として西アフリカにリベリアとシエラレオネが建国されたが、皮肉にも両国とも内戦で最貧国である。特にシエラレオネは子供までもが戦争に狩りだされ殺戮を行うなど、差別を受けながらも後に社会的な地位を上げたアフリカ系アメリカ人とは雲泥の差の生活を強いられている。またカナダのほうが奴隷廃止が早かったためにアメリカの奴隷がカナダに移住した事があった。
また、第二次世界大戦においては、人手不足からアフリカ系アメリカ人も軍人として戦争に参加することになった。当時「民主主義の武器庫」を自認していたアメリカであったが、「民主主義」という言葉とは裏腹に、大戦中に将官になったアフリカ系アメリカ人は准将だけであり、実際の戦闘に参加したものはわずか5%のみで、残りの殆どが後方支援業務に就かされるなど、参戦によっても差別は解消できなかった。
1950年代以降、マーティン・ルーサー・キングなどを指導者に、アフリカ系アメリカ人をはじめとする被差別民族に対する法的平等を求める公民権運動が盛り上がりを見せる。その結果、1964年7月2日に法の下の平等を規定した公民権法(Civil Rights Act)が制定された。 また彼らの人種間の融和は皮肉なものであり、例えばベトナム戦争の時は白人と黒人が共に同等で戦った事、南アフリカ共和国ではアメリカ人は世界一の経済大国の国民であるためかアパルトヘイトで白人同等の扱いを受けている事である。
しかし法的な差別が撤廃され、それがゆえに「自由な国家」であることを標榜する現在においても、白人がその多数を占めるアメリカ社会での少数派(現在約20%)である黒人に対する差別意識は根強く残り、白人に比べれば遥かに低学歴な貧困層が多い。
現在、黒人社会において質の高い公教育を提供する行政実験が行われており、特別な家系ではない黒人の子女がハーバード大を代表とする多くの名門校に進学する実績を挙げつつある。スポーツ界でも黒人選手は恵まれた運動神経であるために少数民族であるにもかかわらず大いに活躍し、黒人野球選手は17%という少ない数であるが、黒人アメフト選手は70%、黒人バスケットボール選手は80%という大多数を占めている。 後に黒人の社会的地位が向上し、コリン・パウエルやコンドリーザ・ライスなど国政の中枢にまで登り詰める人物が目立つようになった。そして、2009年には、ケニア人(黒人)の父とアメリカ人(白人)の母を持つバラク・オバマが初の黒人大統領として第44代アメリカ合衆国大統領に就任するなど、差別解消運動の成果が顕在化しつつある。
アフリカ系アメリカ人への主な差別 [編集]
アフリカ系アメリカ人は奴隷解放から100年たっても20世紀初頭までは差別がひどくスポーツや歌手や俳優などでも白人から差別を受け、キング牧師の登場まで学校やレストランやトイレやバスも人種で分けられていた。差別的な警官により暴力を受け、誤射の凶弾に倒れたりする事もあり、裁判でも黒人が白人より重い刑を受けたり死刑執行率が高い場合もある。そのためロス暴動のような差別への怒りの暴動が頻繁に起きたりする。現在は黒人が歌手、俳優、スポーツ選手、政治家として活躍して人気も出ており、オバマ大統領の就任も白人層からも大いに歓迎され、半世紀前に比べ遥かに差別意識が薄れてきた。しかしKKKのような白人至上主義者が未だに存在するために完全に差別は撤廃されたわけではなく、黒人の社会的地位上昇のために就職や大学の採用試験などの合格枠が人種で区別する事で逆差別と感じる反黒人感情の白人が増え、オバマ大統領でさえも当選直前から就任後に白人至上主義者からの暗殺未遂を受けたりする事がある。
かつて奴隷貿易を行ったアメリカを敵視する反米思想の持ち主からはアフリカ系アメリカ人を『裏切り者』と見なされているようで、軽蔑の対象とされている。例えば反白人感情の独裁者のロバート・ムガベは自国を非難し経済制裁を要求したライスを『白人の奴隷』『アンクル・トム(白人に媚を売る黒人に対する侮辱用語)の娘』と侮辱し、十字軍やキリスト教やアメリカを敵視しているアルカイダのナンバー2であるアイマン・ザワーヒリーは大統領に就任したオバマを『ハウス・ニグロ』(この言葉は米国の奴隷制時代に家庭内で家事を行う黒人奴隷を意味しており、家の外で過酷な肉体労働を行う黒人奴隷からは「裏切り者」を意味する言葉である)と呼び、さらにパウエルやライスも侮辱した。
他国のアフリカ系国民 [編集]
イギリスやフランスはアフリカに旧植民地を保有した影響で、移民により多くのアフリカ系住民が住んでいる。しかしアフリカ系フランス人はスポーツ選手以外ではアフリカ系アメリカ人よりも社会進出に遅れており、未だに多くが貧困層でスラム街に住んでおり、差別への怒りに対する暴動が起きる事もある。カナダでは2.5%の78万人のアフリカ系カナダ人が存在しており、ミカエル・ジャンというハイチからの黒人女性がカナダ総督に任命されている。つまり2009年現在は米加両国の最高指導者がアフリカ系が就任している事になっているが、日本ではあまり話題になっていない。
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